誰もが空腹だった。人も動物も
山本 力雄
相当の悪餓鬼であったらしい。その事実は今も頭に残るタン瘤の痕跡が証明している。故郷は豊後水道に臨む。その村は、猫の額ほどの平地しかない小さな漁村であった。貧しいことこの上ない。悪餓鬼どもはいつも空腹を抱えていた。貧しい者は貧しいなりに生活力を身に付ける。遠くから学校へ通う子供たちは、朝早く家を出て海底を見詰めながら海岸沿いを歩く。手には柄の長い金突きを持っている。学校へ着くまでには幾匹かの蛸を手に提げている。生きた蛸に針金を通して教室の自分の机の横に吊るしている。町から転任して来た若く美しき女先生が、その蛸が動くのを見て悲鳴を上げ教員室へ駆け込んだ。悪餓鬼どもは芋腹を抱えて笑い転げたものだ。
ある秋の日、眠そうな顔の悪餓鬼の一団が登校をしている。小学校の校門の前には小川があり、その川にはアヒルが放されていた。
『おい、あのアヒル、卵産んじょるがやねえがか』
見れば確かにアヒルは蹲って卵を抱いている。腹の空いた悪餓鬼どもがこの機会を逃す筈がない。ジャンケンをして負けた者がそこに残って卵を採る。それを教室へ持ち込み、卵の角に穴を開けて中を鉛筆で攪拌し、回し飲みをする段取りであった。ジャンケンの結果、私がその役割をすることになった。五分もすれば始業時間を告げるチャイムが鳴る筈である。しかし、アヒルはなかなか立ち上がらない。卵を抱いている間は結構抵抗をするのだ。長い五分が過ぎてチャイムが鳴った。そのチャイムが合図のようにアヒルは立ち上がり水場へ移動した。私は急いで川原へ飛び降り、卵を目掛けて駆け寄った。ところがである。猫より少し大きい位のグレーの体毛をした動物が、向かいの石垣からやはり卵を狙って駆け寄って来たのだ。先に駆け寄った私が卵を掴むと、その動物はくるりと背を向けて石垣の方へ駆けて行った。その背を向ける瞬間、私とその動物は目が合っていた。いかにも残念そうなその目は『俺のこの空腹が分かるか』と言っているように見えたのだ。
仰山な話だが、あの動物は日本獺ではなかったかと勝手に思い続けている。その後、日本獺が絶滅したと伝えられているのはご存知の通りである。