表紙
【漱石、松山その時代③】
マッチ箱のような汽車を降りると、 漱石は三番町にあった城戸屋という旅館へ入る。 一流の旅館であった城戸屋は、 一見の客を上等の部屋へは案内しないことになっていた。 試験的に 「竹の間」 という階段下の暗い部屋へ案内される。 ところが翌日、 新聞に松山中学の新任英語教師夏目金之助の紹介記事が出た途端、 漱石の部屋は上等に変わった。 月給が校長先生より高い八十円だったのである。 今日に比べ当時の学士様には相当の値打ちがあったのだ。 この話は実話であり、 漱石亡き後に、 松山を訪問した鏡子夫人が同旅館に宿泊した際、 番頭が出てきて夫人に平謝りしたと森田草平の 「松山と熊本巡礼記」 にある。
さて二日目、 漱石は松山中学へ出勤する。 城戸屋から中学まではそんなに遠い距離ではない。 道々、 自分より大きな学生たちを見て少し怖じている。 あんな大きな生徒を教えるのかと。 後に撮られた記念写真を見ると小柄な漱石は生徒たちの中に埋もれている。
(表紙絵 青木のりあき/文 山本力雄)