松山中央ライオンズクラブ
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2007年5月

NO.449 小説「坊ちゃん」12景 その⑧

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先日、 東温市見奈良にある坊ちゃん劇場へ 「ミュージカル
坊ちゃん!」 を見に行った。
小説 「坊ちゃん」 をジェームス三木氏がミュージカル劇に
書き上げ、 わらび座が演じている。
1月末までに228回の舞台をこなし、 54904人の観客が入っ
たという。 大変な動員数である。 46回見た人もいたと支配
人の山川さんが誇らしげに説明をしてくれた。
2年目の出し物は、 「吾が輩は狸である」 というミュージ
カルであるらしい。 漱石もびっくりだろう。
吾輩は猫ならぬ狸なのだから。 四国の民話八百八狸にまつわ
る井上ひさし氏の小説 「腹鼓記」 が頭に浮かぶ。
さて、坊ちゃん12景も8回目となる。 今回は、 漱石が中学
校の宿直当番となったその夜の出来事である。 布団の中に蝗
(イナゴ) が5、 60匹這入っている。 学生の悪戯に違いな
い。 『そりゃ、 イナゴぞな、 もし』 坊ちゃんはこれをバッ
タと表現して悪餓鬼どもに一本取られている。
以前見た 「北の零年」 という邦画の中で蝗の大群が飛来し
空が真っ黒になる場面があった。 雲が湧くような蝗の大群、
それが通過した後は一切の草木の姿が地上から消えるという。
漱石は蚊帳張りの中で蝗の小群に股座 (またぐら) を襲わ
れた。 漱石の股間の草木は無事であったのか。
松山を去った後の熊本時代、 中根鏡子なる女性と結婚して
いる。 しかも子沢山に恵まれた。 心配無用という訳である。

山本 力雄


NO.450 小説「坊ちゃん」12景 その⑨

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『君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。』
このことが切っ掛けで坊ちゃんは赤シャツ、 野だいこ
と高浜沖のターナー島こと四十島の近くへ小舟で釣りに
出掛ける。
竿なしで直接手で当たりを取る釣り方。 鯛が狙いと
書いている。
釣り糸の先に錘が一個あるだけとある。
現在のゴング釣りに近い仕掛けではないか。
もっとも釣れたのはゴルキという魚である。ゴルキとは
ベラ科の魚、 いわゆる松山近辺でいうギゾのことでは
なかろうか。 漱石は一匹釣って嫌になり、 船の中で
横になった。 空を眺める。 青空が美しかった。
赤シャツと野だいこが噂話を始める。 その話の中で
出てきたのがマドンナであり、 ターナーである。
マドンナとは聖母マリアのことであり、 ターナーとは
17世紀から18世紀ころイギリスで活躍した風景画家のこ
とである。 それでは魚の名前であるゴルキとはなにか。
社会主義リアリズムの基礎をつくり、 ソビエト文学
発展の大道を切り開いたロシアの文学者ゴーリキーの
ことであるという。
ところでターナー島は平成3年の19号台風で高波を
被り松が枯れ禿山となった。 この禿頭の島に松を植え
毎日水を運び、 自費でもとの姿にした人がいた。
小学校教員北岡杉雄氏。 その苦労は筆舌に尽くしが
たい。 しかも奉仕である。 彼を紹介する資料を読んで、
奉仕の精神を学んだ。
「受けて忘れず、 与えて思わず。」

山本 力雄


NO.451 小説「坊ちゃん」12景 その⑩

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4月28日、 松山市民待望の 「坂の上の雲ミュージアム」
が完成した。 今更いうまでもなく司馬遼太郎の小説を
記念して造られた観光スポットである。 作者の遺言に
従い、 戦争賛美にならないよう展示物に気を配った痕跡
が随所に見られる。 東大阪市にある司馬記念館の館長で
あり、 司馬家の養子でもある村上洋行氏の話では、 展示
内容については毎年入れ替えたいとのことであった。
ところでこの記念館の裏にある万翠荘の奥には、 戦後
復元された愚陀仏庵がある。 ついでに足を運んでみた。
愚陀仏庵という名前は、 漱石がいか銀の愛松亭の後に
入居した二番町にある上野義方邸の離れの愛称である。
愚陀仏とは漱石の別号であった。 この二階に漱石がい
て一階に子規がいたのかと思うと、 その時代に引き込ま
れるような不思議な感覚に襲われた。
子規は当時、 新聞 「日本」 で記者として活躍していた。
日清戦争の従軍記者を志願し、 嬉々として大陸へ出掛
ける。 だが戦争は既に終結に向かっていた。 しかも
当時の軍の報道機関 (主に新聞) に対する考え方は、
スパイ同然の扱いで、 従軍記者など牛馬並の処遇で
あったという。 ために子規は病を重くし、 帰国の船上
で喀血して神戸の病院へ担ぎ込まれる。
その後、 子規は松山へ帰り、 この愚陀仏庵へ転がり
込むのである。 そして愚陀仏庵における子規滞在の52
日間が切っ掛けとなり、 漱石と子規に連なる人々との
深い交流が始まる。 後の 「ホトトギス」 での小説
発表はその人脈から生じた。 明治38年には 「我輩は猫
である」、 39年には 「坊ちゃん」 を高浜虚子の勧めで
発表している。

山本 力雄


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