今回が最終回である。
漱石はこの小説 「坊っちゃん」 を明治39年、
39歳の時に俳誌 「ホトトギス」 に発表した。
編集長である高浜虚子の薦めによることは既に
書いたとおりである。
この作品を発表する前年には、「我輩は猫である」
をはじめ幾つかの短編を発表し好評を博している。
漱石は明治28年4月に愛媛県尋常中学校 (松山
中学) の教諭に就任、 翌年29年4月まで在職した。
したがって漱石の実際の松山での生活は1年で
あったが、小説の中の坊っちゃんは、 7月に東京
物理学校を卒業後、9月には 「四国辺りのある
中学校」 に赴任し、 わずか1、 2ヶ月で辞めた
ことになっている。
あまりにも沢山の事件が勃発するものだから、
もっと長く滞在していたように感ずるのだが、
よく読んでみるとまったく短い期間の設定になって
いるのに気づく。
さて赤シャツと野だいこに鉄拳制裁を加え、
勧善懲悪を実行した 「坊っちゃん」 は、
その結果として学校を去ることとなる。
二人は奸物どもに制裁を加えた翌日の夕方
6時の船で四国を後にする。
「その夜おれと山嵐は、 この不浄の地を離れた。
船が岸を去れば去る程いい心持がした。
神戸から東京までは直行で、 新橋へ着いた時は
漸く娑婆へ出た様な気がした。」
四国辺のある町すなわち松山は、 不浄の地で
あり、 東京は娑婆であるという。
何だか複雑な気持ちだが、 地の果てにあって
猿と人とが半々に住んでいると書かれた延岡より
はまだましか。 それにしても江戸っ子漱石は口の
減らない男ではある。 (完)
山本 力雄