松山中央ライオンズクラブ
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ライオンズの思い出②

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ライオンズの思い出
島田 省吾

 私にとって、昭和39年には忘れることができない、2つの大きい思い出があります。
 その1つは、10月10日の開会式で幕を開けた東京オリンピックのヨット競技に、役員として参加したこと。
 2つ目は、11月22日、松山中央ライオンズクラブの結成式(第1回目の例会)に出席したことです。
 東京オリンピックでは、開会式の2日前(10月8日)から江ノ島ヨットハーバーの役員宿舎に入り、10月24日の開会式まで、2週間あまりを世界から集ったヨットマンと過ごすことができました。
 私の役割は、スタート前の競技海面の気象、海象(潮流、満潮干潮の時刻など…)のデーターを渡す役でしたが、選手の質問に答えるために、通訳として、学習院大学の女子学生2人(1人は徳川家の令嬢)がサポートしてくれました。
 選手の中には、ノルウェーの皇太子(現国王)や、タイの王室の方などがおられた関係で警備は厳重でした。
 競技役員として、無事に責任を果たすことができた思い出多い大会でした。
 オリンピックの感動がさめない11月22日、松山中央ライオンズクラブの結成式が伊予鉄会館であり、出席しました。
 当時は、1業種から1人しか入会できなかったために、各業界のトップクラスの人達51名が集って結成式が行われました。先輩の松山・道後両クラブに“追いつき追い越せ”を合言葉に、全員一丸となって努力した結果「花の中央」と呼ばれ、他クラブから尊敬されるクラブに成長しました。
 結成当時の活動状況などにつきましては、クラブの会報7月号にL永野(貞)が、くわしく書いておられますので、重複をさけたいと思います。
 私は思い出の中から、入会当時の失敗談など1、2書いてみます。30代半ばの私にとりましては、夜の委員会が楽しみでした。同年代の気心の合った仲間と、二次、三次会…のあと、タクシーで帰宅途中、小野(南梅本町)の自衛隊近くの坂道で、積雪のためタイヤがスリップして進めなくなり、再び松山に引き返したことも二度、三度…恥かしいことですが、なつかしい思い出の1つです。
 また、昭和61年私が当クラブの会長の時、会長として何か思い出に残ることをしてみたいと考え、10月8日のライオンズ奉仕デーに、東温市の自宅から堀の内まで、約12㎞を歩いて清掃奉仕に参加することを計画、朝6時の集合時間に遅れないように、夜明け前の暗い道を2時間あまり、走ったり、歩いたりしながら堀の内にたどり着き、清掃作業に汗を流したこともありました。
 昭和39年に発足した当クラブも45年経ち、チャーターメンバーは6人になりました。
 年齢は92歳から70歳まで22歳の差はありますが、6人にはそれぞれ愛称(ニックネーム)があり、日常の会話の中では、お互いに愛称で呼び合っています。
 年齢の順にご紹介します。
 ナーさん又は永野のおとうさん(L永野)、フー兄(L船倉)、乗りおくれのミーさん(L宮崎)、シマ兄(L島田)、イーちゃん(L伊狩)、フミさん(L吉田)5人の方には長年にわたり年齢の差を感じさせないお付き合いをいただき、又それぞれ持っておられる個性の中から多くのことを学ばせていただきました。大変有難く思っています。
 おわりに、辛口で申し訳ございませんが、80歳になったシマ爺の戯言(たわごと)と思ってお許しください。当クラブは今、果たして「花の中央」と呼ぶにふさわしいクラブでしょうか? L永野も7月号で指摘されておられるように、例会の出席率の低下や、食事が多く残っている点など…目に余るものがあります。残念でなりません。
 もう一度あのころの「花の中央」らしさをとりもどしたいものです。



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