ふだん街中で仕事をしていると、ふと訪れた土地の、何でもない素朴な風光に息を呑むことがある。
不可解によどんだ環境にどっぷりつかっているから、そのよどみが浄化されるような景色に接すると、感激で全身が熱くなるのを覚える。
数年前、新居浜市立川の亡母の生家を訪れたことがある。
マイントピア別子の登り口にあたるこの付近は、眼鏡橋は健全なものの、道路は拡張され大いに様変わりしていた。
急な坂道を喘ぎながら登ると、古い民家の屋根が見えた。
紛れもなく亡母の生家であった。
幼い頃、母に連れられ幾度か訪れた当時の記憶が蘇る。
一瞬、ぼくの心がなつかしさで一杯になった。
古い物が消えずに存在していることの素晴らしさ。
何にも代えがたい宝物である。
久万町の畑野川地区には、まだ茅葺き民家が点在している。
絵を描きによく出かける。
山里の四季は、それぞれに美しいが、ぼくは、中でも秋が好きだ。
紅葉が色づき、柿が物悲しく黄昏を背景に実っている。
ミルク色に立ち昇る煙は、風呂を炊く薪のくすぶりだろうか。
世の中がどんどん変化していく中で、頑固に営々と生活を続ける土地の人々に、ぼくは大いなる尊敬の念を抱いている。
こんな土地には、きっと、心やさしい人達が住んでいるに違いない。