旅の思い出
続木 隆夫
〝旅〟と言えば、仕事に大変燃えていた頃、平成7年から6年間続けざまにアメリカ大陸へ出かけました。先進国アメリカの損害鑑定業界の現状調査と技術交流が目的でした。
最初、全米損害保険鑑定協会(IADA)会長に面談する為、オフィスを訪ねました。ニューヨークから東約250キロのロングアイランドの町にありましたが、会長(当時アンパック会長)からは大歓迎され、翌年からの年次大会へ招待まで戴き、オフィスを後にしたのです。
当日は、ニューヨークからリムジンをチャーターし、帰路ケネディー空港へ到着しました。タクシー代は、現金を使いたくなかったのでVISAカードを提示したところ、運転手は私の胸のライオンズバッチを見つめ、貴方はライオンズ会員かと訪ね、私はとっさにライオンズ会員証を提示しました。すると〝カード精算機の調子が悪いので、請求書は後日送るから名刺を下さい〟と言って私を丁重に降ろしてくれました。日本では、初対面の外国人にタクシー代を「ツケ」で降ろすでしょうか? アメリカに於ける信用社会の確立、ライオンズの高い評価に驚き感激しました。1ヶ月後、25.000円の請求書が届きました。
それから3年後の事です。水の都で有名なテキサス州サン・アントニオ市でIADAの年次大会があり、3度目の招待で日本から4人が参加しました。途中ダラス空港で国内便に乗り継ぎ、目的地へ向うことになりました。ダラス空港はアメリカ南部最大のハブ空港、それだけに大変な混雑とゲート間の移動距離の長いので有名です。その乗り継ぎ時間が30分くらいでしたので心配しながら降りました。案の定、すべてのゲートは長身で大柄なアメリカ人の行列で埋め尽くされていました。大変な事になったと、小柄な私共4人が行列の後でキョロキョロしていると、何処からともなく、グリーンのジャケットを纏ったカーボーイ風の整理官が近付いてきて、私の胸を見ながら〝ユー・ライオンズ〟すかさず私は〝イエース・ジャパン・ライオンズ〟バッチのついた襟を持ち上げ叫びました。そして乗り継ぎ時間が迫っている事を伝えたところ〝プリーズ〟と言って特別なゲートへエスコート、乗り継ぎ用通路へ開放してくれたのです。連れの4人は暫らく事情が分からず、私のライオンズバッチの威力に驚くばかりで、未だに語り草となっております。この事例は、ライオンズ発祥の地アメリカだからかも知れませんが、私たちが日頃行っているライオンズ活動に対する善意のお返しかも知れません。 以上
注:この業界の年次大会は「水の都」といわれる場所を選び、転々と行っています