私の座右の銘
大西千恵春
“hungry”
私の座右の銘には生い立ちが深く関わってきます。昭和31年、福岡で炭鉱夫の長男として生まれました。高校1年の時、父が胃癌で他界。新聞配達を始めました。大学も無理を言って行かせてもらう代わりに朝の新聞配達に加え夕方からはガソリンスタンドのアルバイトをしました。27才の時に⑭マルマンを辞めて当時の社長の誘いを受けて単身松山に。当時は貯金も無く、お店の屋上のトタン小屋を無料で住まわせてもらっていました。夏は、あまりの暑さにパンツすら脱いでしまっていたことも(笑)。それでも2年間ひたすら眼鏡を勉強し29才で鷹子店の店長に就任。松山に知人は全くいない状況でしたから毎朝ポスティングをしたり地域のボランティアに参加したりゲートボール大会を主催したりと地域密着型の店作りを徹底。すぐ1番売れる店にしてからは、竹原店や大野城店など切り込み隊長として任されることに。40才で社長に就任しました。妻とは29才の時に結婚。子どもの事、家の事を全てやってくれたので、安心して仕事に没頭できました。これまで頑張れたのもハングリーに育ててくれた母や会長、そして妻の支えがあったからだと感謝しています。これからもハングリー精神を忘れず仕事もライオンズの奉仕活動も頑張ります。