松山中央ライオンズクラブ
HOME リンク お問い合せ
クラブ概要 アクティビティー他 理事会・例会だより 会員コラム 役員・委員会紹介 会報誌ギャラリー
会員コラム

≪ 2009年5月 | 会員コラム一覧 | 2009年8月 ≫

2009年7月

エッセイリレー 少年時代(7月号)

「こまかった頃」

冨永  実

 数年の東京住まいを除き、味酒(宮西)の地でずっと生活して、昨年末、還暦を迎えた。この年になると同級の友人とこまかった頃の思い出を語る事が良くある。当時は、家庭にはラジオがあったが、テレビがなく、扇風機や、網戸が充分に普及していない時代のため、窓を開けて蚊帳の中でうちわを持ちながら、腹巻をして寝る時代であった。
 古町駅の西側は、田んぼだらけで、朝美・衣山地区(松山総合公園のすぐ下)との1㎞の間は、道沿いに民家や工場が数戸あるだけだった。農家の方が、田植えや稲刈りの時期には、一家総出で作業していたことを思い出す。北を見れば、六軒家町に煉瓦工場、牛小屋、そして電力の変電所があるだけで、はるか遠く勝岡の火力発電所の高い煙突が見えた。
 現在の国道がまだ充分に整備されていなかった当時、宮西町を通過する県道は、三津街道と呼ばれ、市内と物流拠点の三津浜港・高浜港を結ぶとても重要な道路だった。通勤は鑑札付きの自転車の時代で、いろいろな荷物を積載していた6トントラックが往来し、時々真砂土や材木を積んだ馬車が行き来していた。所々に馬の糞が落ちていた。ずっと後日のことだが、道後動物園に運ばれる〝キリン〟がトラックに乗せられて電線を気にしながらゆっくりと通過したこと、そして東京五輪の〝聖火〟リレーが通過したことを思い出す。
 7月になるとこの地区(古町より東側)は、鐘軌さん、輪越し、天神さん…と縁日が数週間ほど続く。地区各所の電信柱にその予告が貼ってあった。当時、娯楽やイベントの乏しい時代で、縁日での数時間は、夜店で買い食いし、賞品目立てに相撲大会に出場し、心待ちの野外映画を見て、涼気を得る少年少女たちの楽しい時であった。


松山中央ライオンズクラブ事務局
〒790-0001 愛媛県松山市一番町4-1-11 共栄興産一番町ビル5F TEL:089-913-1632 FAX:089-934-3100
E-mail: info@matsuyama-chuo-lions.gr.jp