松山中央ライオンズクラブ
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NO.451 小説「坊ちゃん」12景 その⑩

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4月28日、 松山市民待望の 「坂の上の雲ミュージアム」
が完成した。 今更いうまでもなく司馬遼太郎の小説を
記念して造られた観光スポットである。 作者の遺言に
従い、 戦争賛美にならないよう展示物に気を配った痕跡
が随所に見られる。 東大阪市にある司馬記念館の館長で
あり、 司馬家の養子でもある村上洋行氏の話では、 展示
内容については毎年入れ替えたいとのことであった。
ところでこの記念館の裏にある万翠荘の奥には、 戦後
復元された愚陀仏庵がある。 ついでに足を運んでみた。
愚陀仏庵という名前は、 漱石がいか銀の愛松亭の後に
入居した二番町にある上野義方邸の離れの愛称である。
愚陀仏とは漱石の別号であった。 この二階に漱石がい
て一階に子規がいたのかと思うと、 その時代に引き込ま
れるような不思議な感覚に襲われた。
子規は当時、 新聞 「日本」 で記者として活躍していた。
日清戦争の従軍記者を志願し、 嬉々として大陸へ出掛
ける。 だが戦争は既に終結に向かっていた。 しかも
当時の軍の報道機関 (主に新聞) に対する考え方は、
スパイ同然の扱いで、 従軍記者など牛馬並の処遇で
あったという。 ために子規は病を重くし、 帰国の船上
で喀血して神戸の病院へ担ぎ込まれる。
その後、 子規は松山へ帰り、 この愚陀仏庵へ転がり
込むのである。 そして愚陀仏庵における子規滞在の52
日間が切っ掛けとなり、 漱石と子規に連なる人々との
深い交流が始まる。 後の 「ホトトギス」 での小説
発表はその人脈から生じた。 明治38年には 「我輩は猫
である」、 39年には 「坊ちゃん」 を高浜虚子の勧めで
発表している。

山本 力雄



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