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板東捕虜収容所のこと  藤井 滋

藤井  滋

 10月25日(土)私どもの業界の会合のついでに徳島県鳴門市にできた 板東捕虜収容所 のオープンセット跡を見学した。
 第一次大戦の結果、 中国青島 (チンタオ) で敗れたドイツ兵の捕虜収容所の物語を描いた映画 「バルトの楽園」 の撮影現場をそのまま活用して観光施設にしたもののようです。
 物語は、 松平健扮する収容所長松江大佐が軍上層部の圧力に屈せず 「収容所は刑務所にあらず、 敗れたとは云え国のために戦った兵士に敬意を表す」 とすこぶる人道的な扱いをしたということですが、 当時、 収容所で発行されたガリ版刷りの新聞や音楽会のプログラム等も多数展示され、 兵士たちはパンやクッキーなども自給自足し、 手製の楽器で楽団をつくり、 村人との交流も深まり、 収容所のなかで生きる喜びを見いだした様子がほうふつと浮かんできてよき時代の 日本武士道 を偲びました。
 大戦後、 将兵たちは故国ドイツへ帰還することになりますが、 収容所の所員や村人たちの厚いもてなしのお礼にと、 お別れの会で、 「ベートーベンシンフォニー第九」 を演奏したものです。 村人たちは兵士たちの演奏する西洋音楽に魅せられ、 身体をゆさぶって聞いたものです。 これが我が国で始めて演奏された 「第九」 と云われております。
 慶応年間、 戊辰戦争で敗れた会津の人たちは、 厳寒の地北海道に追われていきますが、 当時未だ幼少の松江大佐は地域のリーダーであった父の 会津士魂 を見て育ったわけで 「どのような窮地にあろうとも死んではならぬ。 生きのびるのだ」 という父の教えが、 収容所長としての松江大佐のなかに生きていたのです。
 



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