表紙解説
石手寺三重塔
先月の二王門に続いて、石手寺を代表する建造物である三重塔を取り上げました。奈良や京都に行くとたくさんの仏塔が残っていますが、愛媛県下には三重塔が3棟残されているだけです。そのうち石手寺のものは、鎌倉後期の創建と最も古く、国の重要文化財に指定されています。他の2棟は興願寺(四国中央市三島)と興隆寺(西条市丹原町)にあり、ともに江戸期のもので県指定の文化財です。
仏塔は、古代インドで仏舎利(釈迦の骨を意味する)を祀ったストゥーバ(墳墓)が中国に伝わり、中国の楼閣建築と合体して多重塔の形式が確立したと考えられています。これが朝鮮半島を経て日本に伝来し、寺院の伽藍を構成する中心の建物として、飛鳥時代以降数多く建築されるようになりました。
屋根の上に突出した「相輪」を支持するために、必ず芯柱が建物の中心に立っています。石手寺の場合は一重の天井裏で止まっていますが、古いものでは地上まで達しているもの、法隆寺のように穴を掘って深く埋められているものもあります。この相輪は仏教では「塔婆」に当たるもので、ストゥーバ→トウバとなったのかも知れません。これが西洋に行くとタワーなのでしょうか。
今建てると1層1億円かかる、とまで言われているくらい手間と時間のかかる建物ですが、空間として使えるのは一重のわずかな面積のみ。次第に仏像を安置する金堂や本堂に主役の座を取られていったのは、自然な流れだったかも知れません。ちなみに今塔を新築する際、建築確認申請上は「建築物」ではなく「工作物」扱いになるそうです。
建築設計・監理,古建築調査・研究
花岡直樹建築事務所 一級建築士 花岡 直樹 氏