表紙の解説
今治の五輪塔
今治市と言えば高縄半島の北の少し遠い存在のような気がしていましたが、平成の大合併で松山市と接することになりました。この地方では中世より石塔文化が盛んで、特に野間地方には多くの五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、多宝塔が残されています。近くの大島で良質の花崗岩が採れることも大きな要因であったのでしょう。中でも乗禅寺の本堂裏の高台には、近くの谷間に散在していたものを元禄17年(1704)に集められた11基が並べられています。
表紙の写真は野間覚庵の田んぼの中に建つ、2基の五輪塔(ごりんのとう)です。大小二つが並んでいるため、古来より「夫婦墓」と呼ばれていますが、岡部十郎夫婦のものと伝えられています。花崗岩製で荒打ちの地肌がよいと言われています。字は刻まれていませんが、均整がとれ、雄大で重厚な鎌倉時代の特色をよく示す優品ということができるでしょう。
この形は平安中期に創始されたもので、当初は堂宇の完成、仏像の開眼、亡者への追福のために建てられましたが、後には専ら墓標となりました。上から空輪(キャ)、風輪(カ)、火輪(ラ)、水輪(バ)、地輪(ア)と呼ばれ、五大をかたどったものです。
表紙とは形が違うこのページのものは、野間長円寺跡の宝篋印塔で、背面に銘文が刻まれ正中2年(1325)の紀年があります。これらはともに国の重要文化財に指定されていますが、指定の種類は建造物(石造美術)です。
建築設計・監理,古建築調査・研究
花岡直樹建築事務所 一級建築士 花岡 直樹 氏