松山中央ライオンズクラブ
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2008年4月

童謡シリーズ⑧  「たき火」

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「たき火」を作詞した巽聖歌は、北原白秋の弟子で
あり、昭和5年頃から約13年間、現在の東京都
中野区上高田4丁目に家を借り、近くをよく
散歩していたそうで「たき火」の詞は、その
散歩中に出来たといわれており、このことからも
当時の東京がいかにのどかだったかが伝わってこよう。
 さて、作曲家の渡辺茂に日本放送出版協会(NHK
出版協会)から「NHKの放送テキスト『ラジオ小国民』
十二月号で発表したい詞があるので、それに曲をつけて
欲しい」という依頼が舞い込んだのは昭和16年(1941年)
9月のことだった。
 こうして、出来上がった童謡「たき火」は太平洋戦争
勃発、すなわち真珠湾攻撃の翌日である昭和16年12月9
日から放送された。しかし、放送されるや否や「たき火
は敵の攻撃目標になりやすい」とか「落ち葉でもお風呂
も焚ける大切な資源なのだから、たき火にしてしまうの
はもったいない」といったクレームを軍当局から受け、
3日間の放送予定が2日間で中止となり、3日目には、
戦時番組になってしまったという。
 その後、暫く沈黙を守っていた「たき火」だが、昭和
24年(1949年)にスタートしたNHKラジオ「歌のおば
さん」で再び放送されると、大ヒットとなった。教科書
にも載った。すると、今度は、消防庁からクレームが入
った。それは教科書に描かれていた挿絵についてで、
「子供だけで行うたき火は危険」というものだった。
 以降教科書の挿絵には、火消し用の水が入ったバケツ
と、管理者である大人の姿が描かれるようになったという。

二宮 一朗


童謡シリーズ⑨ 「春が来た」

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教育を考える⑨
 日本人の心に深くしみこんでいる唱歌の数々を作曲した
岡野貞一。 才能豊かな音楽家であると同時に、 生涯を通
じて熱心なクリスチャンでもありました。 そもそも音楽に
目覚めたのも、 少年時代に通っていた鳥取教会で当時珍し
かった賛美歌に接したのがきっかけでした。 姉の影響で
14歳のとき洗礼を受け、 まもなく岡山に移りキリスト教系
の中学校に入学。 アメリカ人の宣教師アダムスにオルガン
を習って才能を認められ、 彼女のすすめで上京して1896
(明治29)年、 東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学
します。 卒業後は母校で教鞭をとるかたわら、 明治末期
から昭和初期にかけて小学唱歌教科書の編集委員として、
唱歌の作曲を数多く手がけました。 とくに作詞の高野辰之
と組んだものに名曲が多く、 「もみじ」 「春が来た」
「春の小川」 「故郷」 「おぼろ月夜」 などがあります。
岡野は自宅界隈を散歩しながら曲想を練り、 あとでオルガン
を弾きながら曲をまとめていました。
 ところで文部省唱歌は長い間、 誰が作ったのか公表されて
いませんでした。 今では 「もみじ」 は高野辰之作詩、
岡野貞一作曲と知られていますが、 岡野が亡くなるまで家族
すらそのことを知らなかったといいます。 というのも岡野は
寡黙でひかえめな性格だったので、 自分の作品のことをほと
んど誰にも 話さなかったのです。 真面目で温和な人格者で、
授業中に冗談を言って生徒を笑わせるようなことは一度もな
かったそうです。
 東京音楽学校で教える一方、 本郷の教会のオルガン奏者を
つとめ、 聖歌隊の指導もしていました。 63歳で亡くなるまで
40年以上も、 日曜日には教会で礼拝のオルガンを弾きつづけた
岡野貞一。 実直そのものな彼の性格を知ると、「おぼろ月夜」
や 「ふるさと」 がいっそう味わい深く好ましく思われてなり
ません。

二宮 一朗


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